● 韓国により踏みにじられる日本の尊厳
韓国は国を挙げて、日本を貶める活動(ディスカウントジャパン工作)を進めています。代表的なテーマがいわゆる「従軍慰安婦」です。自由な行動と高価な報酬を受けていた当時の韓国人売春婦を「性奴隷(Sex Slave)」として喧伝し、アメリカ下院や国連で日本を人権侵害国家と非難を続けています。
そうした韓国の反日活動家(大統領も含む)の常套句が「歴史を直視せよ」といった決まり文句です。
歴史を直視するとは、残されている歴史的な資料による客観的な検証をさしていると思います。その結果、従軍慰安婦については、
① 契約に基づく売春婦であり、身の安全の保証と高価な給与を得ていた存在であること。
② 日韓基本条約により、国際法的には解決済であること。
③ 従軍慰安婦問題の大元であった「吉田証言」「韓国人挺身隊」の情報は、単なるデマであったこと。
という結果が出ています。つまりは、日本は言いわれなき非難を受け、アメリカでは日本人住民が差別を受けるという「実害」が発生しているのです。
では、本当に歴史を直視すべき国は何処なのか?
それは、韓国です。今世紀屈指の人道的犯罪を犯した国です。
今回は、歴史に埋もれようとしている韓国人の行った人道的大犯罪である「韓国軍によるベトナム人の虐殺」を取り上げてみようと思います。
● 韓国が国ぐるみで隠蔽する人道犯罪 ~ベトナム人の虐殺~
「ベトナム戦争では、多くの非戦闘員(一般市民)がアメリカ軍によって殺された」
そのようにイメージを持っている方は多いと思います。私もそうでした。
アメリカ軍が行った住民虐殺事件とは「ソンミ村虐殺事件」です。
ソンミ村での虐殺被害者 (あまりにむごい画像ですので、加工しています)
(他の画像についても、ご遺体は加工処理しています。)
ソンミ村事件とは、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍カリー陸軍中尉が率いる部隊がクアンガイ省ソンミ村で非武装のベトナム人住民504人を虐殺した事件です。この事件は従軍ジャーナリストにより報道され、ベトナム反戦運動のシンボルとなりました。この事件に対して、国内外で大きな批判の声が起こり、アメリカ軍が支持を失うきっかけとなった事件です。
この虐殺を指揮したカリー中尉は軍事法廷で終身刑を言い渡されています。
この事件があまりにも有名なために、アメリカ軍が残虐な虐殺をベトナム中で行っていたような「イメージ」が定着しています。
しかし、ベトナム政府や国際機関、アメリカ政府が認めているアメリカ軍による住民虐殺事件は、このソンミ村事件1件のみなのです。
しかし、実際には、ベトナムの各地には、非戦闘員であるにもかかわらず、多くの住民が虐殺される事件が相次ぎました。
では、そのベトナム各地で行われた非戦闘員である住民虐殺を行ったのは誰なのか?
それが、韓国軍なのです。
ベトナム人女性を取り囲む韓国軍兵士
● ベトナム戦争に参戦した韓国軍
一般にベトナム戦争とは、南ベトナムを植民地としていたフランス軍と、共産勢力であった北ベトナム軍との戦闘により開始され、後にアメリカが自由主義圏の確保という名目で参戦した戦争です。
一般には自由主義圏であるアメリカと西側諸国、共産圏であったソ連と中国との代理戦争であったと言われています。
この戦争当時の韓国大統領は、1961年11月にクーデターにより政権を掌握した朴正煕でした。現在の朴槿恵大統領の父親です。
朴正煕は、以下の目的のためにベトナム戦争への参戦を必死に働きかけます。
① 自身の軍事政権の正当性を国際社会に認めさせるため
② アメリカからの経済援助の減少により低迷が続いている韓国経済を戦争特需によって回復させるため
クーデターで政権を奪取した陸軍少将 朴正煕
ケネディ大統領は、韓国の提案を当初は受け入れませんでした。しかし、次代のジョンソン大統領に代わった1964年から段階的に韓国軍の派兵が受け入れられてしまいました。
最終的には、韓国軍はアメリカに次ぐ5万人の兵力をベトナムに投入しています。
● ベトナム国中に散在する、韓国軍による虐殺の証拠
以下は、韓国軍によって行われた住民虐殺行為の一部が記載されている地図です。南ベトナム各地で残虐行為を繰り返していた事が分かります。
ベトナム クアンナム省 ハミ村にある慰霊碑 135人の被害者が追悼されている。
ベトナム ビンディン省 ニョーラム村の慰霊碑 300人の被害者の慰霊碑のひとつ
● 韓国人による恐るべき残虐行為の数々
一連の虐殺事件のうち、多くの記録が残されているのが「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」事件です。
これは韓国軍による虐殺事件の直後に、たまたまアメリカ軍と南ベトナム軍が、この村に立ち寄った事で明るみになりました。
韓国軍により殺されたフォンニィ村の子供 人間の仕業とは思えません。。
この虐殺事件は、1968年2月フォンニィ・フォンニャット村に来襲した韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)によって行われました。
韓国軍部隊は村の婦女子を集めると至近距離から銃撃するとともに、ナイフで刺殺し、火を付け、暴虐の限りを尽くして立ち去りました。
そして、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が現場に到着し、惨状を目の当たりにすることとなりました。
アメリカ兵と南ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送するとともに、J・ボーン伍長によって事件現場の撮影が行われました。
至近距離から撃たれ頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦(アメリカ軍撮影)
当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍に参加していました。
つまり、韓国軍は友軍の家族を虐殺したのです。
事態を重く見たアメリカ軍は、陸軍参謀総長ウィリアム・ウェストモーランド大将が韓国軍に調査報告を繰り返し求め続けました。
その結果、韓国軍は韓国海兵隊の軍服を着たベトコンによる陰謀であったとアメリカ軍に虚偽の報告を行いました。
韓国軍からの報告を受け取ったアメリカ軍では、韓国軍の報告を信用せず、アメリカ軍監察官のロバート・モレヘッド・コック大佐に調査を命じました。
この調査の結果、1970年1月に韓国海兵隊による虐殺事件であったとする報告書が提出されています。
この事件以降も、韓国軍による住民虐殺事件が相次いだため、親米ベトナム勢力の離反を懸念したアメリカ軍内部では、韓国軍を完全な後方部隊とするか、南ベトナム民族解放戦線(北ベトナム軍)が完全に支配していて、誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきである、とした検討が行われました。
韓国軍の残虐行為を表現したビンアン虐殺の慰霊碑のモザイク画
韓国兵は残忍なやり方で女性を強姦してから殺害するケースが多く、、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的でした。
韓国軍兵士に取り囲まれたベトナム市民
韓国軍の住民虐殺は、20世紀とは思えない程、前時代的で残虐な手段で行われました。
住民からの聞き取りや記録に残っている蛮行には以下のようなものがあります。
・ 妊婦や子供は井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ。
・ 韓国軍は村の女性を輪姦し、ナイフで乳房を切り取った。
・ 女性を輪姦後、女性器にナイフを突き立て殺害した。
・ カエルの股裂きのように子供の股を裂いた。
・ 子供を放り投げ、兵士が持つナイフの上に落として殺害した。
・ 5人の兵士が1人の女性を輪姦し、最後にナイフで喉を突いて殺した。
韓国軍によって焼き殺されたベトナム人住民 (アメリカ軍撮影)
両乳房を切り取られた女性(アメリカ軍により病院搬送後亡くなった)
こうした虐殺事件の被害者は、記録に残っているだけでも9000名と言われています。しかしながら、村全体が虐殺された事例も考えられることから、この数字は最小限の値だと言われています。
● 解明が進まない韓国人の蛮行
村人を虐殺する韓国人 ビンアン虐殺の慰霊碑のモザイク画
左側の兵士の部隊章は韓国陸軍首都師団(通称、猛虎部隊)
こうした蛮行は、当事国である韓国では知られていません。
韓国のとある新聞が、ベトナムにおける韓国陸軍による虐殺事件の特集を組もうとした事があります。しかし、その新聞が発行される前に、元軍人のデモ隊が新聞社に殺到して、ガスバーナー等の凶器で脅し、発行を差し止める事態が発生しました。
韓国の元兵士によるデモ。元軍人は朴槿恵の指示母体でもあり影響力が大きい。
また、ベトナムも韓国との経済協力を優先するために、「過去の事件にはフタをする」という基本姿勢を貫いています。
結果として、虐殺事件の当事者や、周辺住民の極々一部の方だけが、この人道犯罪を知っているという状態となっています。
ベトナム政府が韓国政府を人道犯罪の罪で「訴える/訴えない」はともかくとして、ベトナムの方々が自身の国で発生した、一連の残虐な事件について「知らされない」という事は許されないと思います。
ベトナムが国を挙げて調査・検証することを望みます。
また、ベトナムは中国と南シナ海の領有権問題を抱えており、日本との協調姿勢が強まっている状況です。日本は友好国として、一連の調査に協力することができるのではないかと思います。
● 真相究明に向けて活動する日本人
この韓国による人道犯罪について、北岡俊明氏(シンクタンク戦略大学代表)ら日本人有志が、ベトナムでの調査を行っています。
ベトナム各地で行った聞き取り調査により、韓国軍による虐殺行為や韓国軍の弱兵ぶりが明らかになってきています。
詳しくは、北岡氏が出版されている以下の書籍を御覧下さい。
画像・内容出展: 上記「韓国の大量虐殺事件を告発する」/SAPIO 2014年8月号
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