韓国人による従軍慰安婦活動は、年々エスカレートするばかりですが、いよいよ、ヨーロッパでもキャンペーンを始めたようです。
日本の品位と尊厳を踏みにじる行為に、何かしら行動が必要であると思います。
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韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)はパリ・シャイヨー宮のエッフェル塔広場で18日(現地時間)、水曜集会を開催することを明らかにした。従軍慰安婦婦問題の解決を促す水曜デモがフランスのパリで開催されるのは、今回が初めて。複数の韓国メディアが報じた。
この日の水曜集会は慰安婦被害者キム・ポクドン(88)さんが参加し、証言する予定。アムネスティ・インターナショナルフランス支部など地元の人権・社会団体や韓国人団体なども参加するとみられている。
1992年1月8日にソウルの日本大使館前から始まった水曜集会は20年以上を経て、日本、アメリカ、台湾、フィリピン、インドネシアなど世界各地に広がった。これまでヨーロッパでは、戦犯国であったドイツと、日本軍慰安婦被害者がいるとされるオランダを中心に連携しているという。
挺対協とキムさんは9日に韓国を出国し、スイスのジュネーブで開かれた第24回国連人権理事会でアムネスティ・インターナショナルと共同で「日本軍性奴隷の生存者に正義を」というイベントを開催したのに続き、14日からフランスでキャンペーンを行った。
ミシェル・アンドレ上院議員と約1時間の面談を行い、フランス議会で従軍慰安婦問題の解決を促す決議の採択などを要求した。
挺対協は23日までパリに滞在し、地元の関係者との面談や各メディアとのインタビュー、大学講演会などを通じて慰安婦の実情を知らせる一方、街頭での署名運動を繰り広げる予定。
挺対協関係者は、「パリ市民や観光客に従軍慰安婦問題を知らせ、解決に向けて参加を呼びかける」と述べたという。(編集担当:李信恵・山口幸治)
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ここで、従軍慰安婦問題の経緯をまとめておきたいと思います。
① 韓国人慰安婦は、募集活動により集められていました。
② 慰安婦の給与は、当時としてかなり高額でした。
③ 韓国人ブローカーにより、誘拐が相次いだため、朝鮮総督婦は取り締まりを行いました。
④ 戦後、吉田清治という人物が「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」という小説を書きました。
⑤ 朝日新聞の植村隆記者が、吉田氏の小説を基にして、朝日新聞に従軍慰安婦の強制連行という記事を掲載しました。
⑥ 朝鮮人運動家 梁順任(後に詐欺で逮捕)が、韓国国内で運動を盛り上げました。
⑦ 国内の在日朝鮮人勢力や、左系議員の圧力、そして、「賠償や国際問題化しない」という韓国側からの要請により、河野談話が発表されました。
⑧ 反日教育との相乗効果により、従軍慰安婦問題はエスカレートしています。
この騒動の特徴として、初期段階である④⑤は、残念ながら日本人によって引き起こされているという事があります。
世界で一番初めに「慰安婦の強制連行」を唱えはじめた吉田清治という人物について見てみましょう。
1913年生まれ。元陸軍軍人。復員後、共産党候補として下関市議会議員として立候補した経緯を持つ。
1983年(昭和58年)に、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』を出版。いわゆる従軍慰安婦問題の発端となったともいわれ、1989年には韓国語版も出版された。
この吉田氏の本の内容の裏づけをとるために、現地の韓国人記者が調査をしたところ。。。
1989年8月14日に済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」として、吉田のいう済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田の主張は虚偽であると報じた。
後年、本の内容に信憑性が無いと指摘された吉田氏は、以下のような発言を残しています。
【週刊新潮1996年5月2/9号】
まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮1996年5月2/9号
1998年9月2日に秦郁彦は、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという。
既に亡くなられたのか、存命中なのかは分かりませんが、日本に対して、極めて重大な裏切り行為を行ったことは間違いありません。
これ以外の吉田氏の著作に関する検証は以下のサイトを御覧下さい。
さて、吉田氏が点けた種火に薪を加えて、大きく燃え上がらせたのが朝日新聞の植村隆記者です。
この記者の経歴を見ておきましょう。
・高知県生まれ。
・早稲田大学政治経済学部卒業。1982年、朝日新聞入社。
・千葉支局、大韓民国特派員を経て、中華人民共和国特派員。
・韓国語の学習のため、朝日新聞社入社後に延世大学校へ留学した。
さて、1991年8月11日の当時の記事中央に「韓国の団体」という文字が見えると思います。
実は、この朝日新聞の植村記者の奥様は韓国人女性です。そして、その韓国人妻の母親は日本に(戦争被害)補償を求める「太平洋戦争犠牲者遺族会」のリーダー的存在であったことが明らかになっています。
この記者は、極めて私的な関係に基づき、根拠薄弱な記事を朝日新聞に記載したことになります。
朝日新聞は新聞社としての存続を許されない存在であると、個人的には思っています。訴訟レベルの話であると思います。
結果として、従軍慰安婦問題は、売名行為または生活の糧として吉田氏が書いた、日本軍の慰安婦連行というファンタジー小説をもとに、朝日新聞の記者が身内かわいさに記事を作った事によって発生したというわけです。
こうした小説家や、個人的に韓国に思いいれのある新聞記者の協力と努力を経て、慰安婦騒動は、アメリカでマラソンが行われたり、フランスでキャンペーンが開かれたりするに至っています。
日本は、徹底的に慰安婦問題の真相を世界に広める活動を行うべきです。
合わせて、原因となった日本人を徹底的に追及することが求められます。