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パイロットが語る「プロの世界」
米国のライト兄弟が人類初の動力飛行に成功したのは1903年12月17日のこと。1回目の滞空時間はわずか12秒。この日4回飛行し、最長は59秒だったという。それから110年余り。兄弟が夢見た空を40年以上にわたって飛び続け、総飛行時間2万5000時間に達しようというパイロットがいる。
静岡市に本社を置く地域航空会社フジドリームエアラインズ(FDA)の機長、秋田芳男さん(63)=兵庫県西宮市=。航空関係者によると、2万5000時間は「恐らく国内定期航空会社の現役パイロットでは最長レベルになるのではないか」という大記録だ。
73年にパイロットになって以来、トラブルには遭遇しても無事故で操縦桿(かん)を握り続けてきた。偉業達成は、プロとして仕事に真摯(しんし)に向き合ってきた結果にほかならない。
●パイロットの「金字塔」
全国のパイロットの総飛行時間を管理する公的な組織や団体はなく、誰が最長で何時間かを正確に把握するのは困難だ。ただ2万時間を超える人は少なく、パイロットの間ではこれが大きな到達点、目標とされる。日本航空で1万6000時間のベテラン現役機長(50代)は「2万時間はパイロットとしての金字塔」と語る。
フジドリームエアラインズが運航する旅客機ERJ170【時事通信社】
全日空広報部によると、同社で最長の現役パイロットは1万9500時間ほど。定期航空会社や自家用機のパイロットでつくる日本航空機操縦士協会は「健康管理や体力維持も求められるため、2万5000時間達成は極めてまれ」と話す。
航空大学校(宮崎市)の教官でも、最長は現役で1万8000時間、OBで2万3000時間。国土交通省航空局運航安全課の担当者も「パイロットが飛行時間を記録するログブックを検査の際などに確認するが、私は2万時間というのも見たことない」そうだ。
● 消えない火
秋田さんは大阪市出身。飛行機が好きで、子どもの頃はよく自宅から1時間ほど自転車を走らせ、大阪府八尾市の八尾空港まで飛行機を見に行ったという。
滑走路を滑り、ふわりと宙に浮かんだセスナ機を初めて見たのは小学4、5年生の頃。「興奮した。その夜は眠れなかった」。以後、パイロットになるための努力を重ねたわけではないが、憧れは心の奥底でおきびのように熱を持ったままだった。
大学に入学してすぐ、東亜国内航空(後の日本エアシステム)がパイロットを募集しているのを知る。資格は高校卒業で良かった。「これだ、と思った。子どもの時のあの興奮がよみがえった」。矢も盾もたまらず、せっかく入った大学を3カ月で中退した。
同社に入り73年、念願のパイロットとなる。最初に副操縦士として乗ったのは戦後初の国産旅客機YS―11。「最近の飛行機に比べると、パイロットの個性が反映される、人間くさい飛行機だった」という。
東亜国内航空のYS―11型機(東京・羽田)【時事通信社】
以後、商号変更した日本エアシステムから日本エアコミューター、日本航空と渡り歩き、2010年にFDAに入社。この間、DC9、ボーイング777、DHC―8、ERJ170/175と41年以上、国内線、国際線で各機種を操縦してきた。
●空の上の世界
2万5000時間。換算すると3年弱だ。秋田さんはその間ずっと、空の上で暮らしていたことになる。空の上って、どんな世界?
「3次元の空間に、自分が存在していることを実感できる場所。日常生活でも3次元空間にいるけど、足が地面に着いている。それが、着いていない世界」
ある日のフライトで福岡空港に向かって降下中、昆虫の大群に突っ込んだことがある。「コックピットの風防ガラスに、ハチぐらいの大きさの虫がバタバタバタッと当たった」。高度は何と約4000メートル。「びっくりした。こんな高い所を昆虫が大群で移動しているなんて、思いもよらなかった。昆虫学者に報告するべきだったかな」
コックピットからは、彗星(すいせい)や、一直線に並んだ惑星を見たこともある。「アンアイデンティファイド(未確認)なもの」も目撃したことがあるそうだ。
● 一番好きなこと
日本エアシステムのDC9【時事通信社】
大記録達成が可能となったのは、主に国内線に乗務してきたため、国際線に比べ少ない休みで繰り返し乗り続けたことが大きいとみられる。しかし、本人にその理由を聞いたところ、返ってきた答えは「飛行機に乗ってるのが何より楽しいから」。単純明快だ。「一番好きなことだから、他のことをやろうと思わない。休暇取ってゴルフしようとか思わない」。趣味らしい趣味を持っていないと言う。「バイクとかヨットとかスキーとか、いろいろやりました。でも飛行機ほど面白いものはない。今もそう思う」
コックピットから見る空は、常にその表情を変える。快晴の日の空の薄い青は、高度2万フィート(約6000メートル)で濃い青になり、4万フィート(約1万2000メートル)では深い青に。「空の色は季節によって変わると言うけど、操縦席から見る空は分単位で変わる」と目を輝かせる。飛行機に乗っていること、それ自体が魅力だと語る。「景色は毎回違う。飽きることなんてない」
好きなことを続けてきただけ。しかし、その至極単純な事実の背後には、エアラインのパイロットに求められる厳しい条件をクリアするためのたゆまぬ努力が隠されている。
日本エアコミューター(JAC)のYS―11型機【時事通信社】
パイロットには年1回、60歳以上だと半年に1回の航空身体検査が航空法で義務付けられており、これにパスしないと飛ぶことはできない。視力、聴力、血圧などの基本的なデータのほか、内臓疾患の有無や精神状態も検査の対象となる。副作用の影響を排除するため、薬の服用は乗務前の一定時間禁じられており、風邪薬でも飲んだら操縦桿を握ることはできない。
このため、秋田さんも最も注意しているのはコンディションづくりだという。「風邪を引くとか体調が悪いということは、それ自体が不安全要素。子どもみたいだが、手洗い、うがい、マスクはいつもやっている。体調管理は基本中の基本。家庭内の問題など、仕事以外の心配事をなくすのも大事」と話す。
● 自分を律する
パイロットになったばかりの頃は、他のパイロット同様に2万時間を目標にしていた。「プロ野球のバッターで言う2000本安打、ピッチャーの200勝みたいなものと考え、目指してきた」。しかし過ぎてみると、それは「単なる通過点」だった。
「与えられた仕事を責任を持って遂行する。その日その日のフライトをきちんと完結させる。それこそが本当の目標。総飛行時間は、ただの結果」と断言する。2万5000時間到達の感想を尋ねても「深い意味はない」と特別な感慨は持っていない様子だ。
飛行中にエンジンが停止したことがある。機体を操縦するのに不可欠な油圧系統が、三つのうち二つ利かなくなった経験もある。「そういう場面に遭遇しても対応できるよう、訓練やシミュレーターをいつも繰り返してますから」。印象に残っているフライトも特にないという。
秋田さんは、パイロットという専門職の職業人の中で、人並み外れた実績を積んだ「プロ中のプロ」と言える。では、プロとは何か? 秋田さんは「自分を律することができる人のこと」と説明する。
規定で、パイロットは乗務前12時間は飲酒してはならないと決まっており、乗務直前にはアルコール検査がある。しかし、人によっては数時間前に飲んで検出されない人もいる。「規定は安全のために決められたもの。他人が見ていないから飲んじゃえ、というのはプロではない。他人が見ていようがいまいが守る、という自らを律する心が、仕事への自負心につながる。プロとは、一言で言えば『自律』だと思う」
● 仕事とは
秋田さんに、仕事とは何かについて尋ねてみた。
「私は飛行機を操縦することで、会社から給料という対価を得ている。しかし仕事とは、ただ働いて給料を得る、というドライな会社との雇用契約関係だけなのではなく、社会でその人が為すべき『使命』なのだと思う」
社会において自分の果たす役割、社会におけるその人の使命が仕事であり、自分の場合はそれがパイロットなのだ、と秋田さんは言う。
パイロット不足が深刻化している中、秋田さんはFDAで機長や副操縦士ら乗務員の技量をチェックする運航審査室の室長も務めている。
「自分が退職する前に次の世代のパイロットを育てる。そうすることによって、安全運航を担保する。それも自分の役割であり、使命であると考えている」
「仕事とは、会社が用意した環境の中で、自分の社会における使命を果たすことなのだと思う」
間もなく6月。進学や就職など、新しい世界に足を踏み入れ、少しずつ見慣れぬ環境になじんできたという人も多いだろう。一方で、「思っていた仕事と違う」「この会社・仕事は自分には合わない」と思い、続けようか辞めようか悩んでいる人もいるかもしれない。自分にとって仕事とは何か。一度立ち止まって考えてみる時期かもしれない。(名古屋支社・田中賢志)
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珍しくパイロット個人に焦点を当てたネット記事がありましたので転載しています。
2万時間を達成したパイロットの方というのは、大変珍しいと思います。そういった方が淡々と語る言葉は中々、含蓄があるものです。
2万時間、様々な経験をなされてこられたと思います。そういった体験談をまとめた本など出版していただければ、ぜひ拝読したいものです。。。